中島 義道 (著) 『私の嫌いな10の言葉』 価格: ¥1,260 (税込) 新潮社 ; ISBN: 4104397016 ; (2000/08)
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私が最初にはまった中島氏の作品です。
とりあえずその『嫌いな言葉』なるものを列挙してみると、
- 相手の気持ちを考えろよ!
- ひとりで生きてるんじゃないからな!
- おまえのためを思って言ってるんだぞ!
- もっと素直になれよ!
- 一度頭を下げれば済むことじゃないか!
- 謝れよ!
- 弁解するな!
- 胸に手をあててよく考えてみろ!
- みんなが厭な気分になるじゃないか!
- 自分の好きなことがかならず何かあるはずだ!
む、見事に言うのも言われるのも嫌なことばが並んでおります。使いようによってはかなりの暴力になりそうな。
ただ、問題は一見正論に見えることで。これをはばかることなく『嫌いだっ!』というのは、実はかなり勇気がいるのではないかと思われるわけですが、それを誰はばかることなく『嫌いだっ!』と切って捨て、あまつさえ、その嫌う理由をいっそすがすがしいくらいに徹底的に考察して述べたのが本書。
当時、感動した私は、生まれて初めてのファンレターなるものを書いてみようかと、ノートPCの蓋を空けたのですが……結局尻切れトンボのままで、出さずに終わることになってしまいました。
さきほど、その書きかけのファンレターが見つかりました。なんとなく、もったいない気もするので、ここにアップしておくことにします。
ということで、ここからは引用。
中島義道様、はじめまして。風柳(ふうりゅう:ほんとは本名が書いてありましたが(笑))と申します。
新潮社刊『私の嫌いな10の言葉』を拝読させていただきました。
二時間程で一息に読み終えてしまった後、どうも何か久しぶりに、自分でも無性に
文章を書いてみたくなってしまい、これを打ち込んでいる次第です。
そういえば、著者の方に手紙を出すという行為自体これが初めてですし、著作への
意見を自らの意思で書く等ということも初めてなので……学生の夏休みの定番課題
であった『読書感想文』などいう「優良図書」を無理やり読まされ、また強制的に
書かされたその「感想」なるものを「評価」されるというのが大嫌いだった後遺症
でしょうか、『本なんて、自分が好きなときに好きなものを読んで、面白ければ、
それでええんや』なる考えの持ち主でもありますので……とても、ファンレターや
いわゆる感想と呼べるものにはならないかと思いますが……。
しかし、考えてみれば、一般に作者の方は『読者からの手紙は全て読んで、大切に
保管してます』と判で押したようにおっしゃいますが……ほんとに皆さん言葉通り
になさってるんでしょうか?
読むのが辛い手紙や破り捨てたくなる手紙なんて、それこそ掃いて捨てるほど受け
取る方もおられるでしょうに……。
もっとも……この手紙が、そうなる可能性は……多分に大ですか。
閑話休題。
ここからは、基本的には本文の流れにそいつつも、思いつくままに書き連ねてしま
います。
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(1) 『相手の気持ちを考えろよ!』・・・そして私は沈黙する。
例えばいじめを受けている子供は「ボクがひ弱で内向的で、からかうと時として
真っ赤になって反発、でもすぐに言い負かされて俯いて涙をためる、その反応が
面白いんだろうなぁ、いじめる気持ちもわかる」と考える、と。
「周りの人も強い方につくよなぁ、弱い方に味方して、自分が『はみご』になる
のは誰だっていやだし」……『相手の気持ちを考えろ』の言葉を額面通り、そう
あるべきだと信じていた、小学校低学年時代のいじめられっ子が私。
いじめる側(それも主犯ではなく、見て見ぬふりを決め込む『多数派』の一人)
に回ったときには、「ボクだっていじめられていたときもあるから、その気持ち
もわかるけど、でもきっといじめられている奴だって、ボクが思っていたように
いじめる奴の気持ちも考えているさ」……そう考え(ているふりをして、実際は
自分に害が及ばなければそれでよい事なかれ主義だが)沈黙していた私。
そこにあるのは、『相手の気持ちを考えているこんな優しい自分』に対する自己
満足と、どこかに『他の人も自分の気持ちを考えて考慮してくれる』という甘え
であり……しかも今に至るも実はそういう気持ちの根本的な部分が変わってない
自分を激しく嫌悪したりもするのですが。
『相手の気持ちを考える』という行為を自分の思考回路を相手にあてはめてみて
解いてみるパズル、という風に考えると、実はこれはなかなか面白く、また論理
的な思考の面だけで見てみると意外と合理的で役に立つ面もある。
ただし、そこに自分の主観や感情、感受性といった要素が入ってしまうと、得ら
れるはずの解も得られず、たちまちのうちに思考の迷宮……そして私は沈黙して
しまうのです。
まぁ沈黙するついでに、『相手の気持ちを考えろよ!』などというおためごかし
を、誰かに得々として言うようなことだけはないですが。
自分の心の中ですら出来ないことを、気軽に人に押しつける程には、まだ傲慢で
はない……とほっとしてよいのでしょうか。
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そういえば、感受性の話題に関して、常々どうも私はヘンなのだろうかと思って
いることが。
情が薄い……現在は一人暮らし、祖父母、父母、姉妹とも離れたところで住んで
いるわけですが、何ヶ月、何年と連絡を取らなくても平気、というよりその方が
楽であり、姉が自殺未遂を起こしただの離婚しただの、妹が結婚して子供ができ
るだの、父が難病にかかりもう長くなさそうだ(実際、昨日呼吸困難から、意識
が混濁し、緊急入院したとの連絡がありました)だのの出来事を聞いたり見たり
しても、どこか川向こうの出来事、という感が消えないのです。
先日も、母方の祖母の葬儀に参列しましたが……生前ですら、ほんの数回、顔を
合わせただけであり、正直、赤の他人の葬儀と何ら感慨は変わらない。
このときは、初めて会った従兄弟や親戚がほとんどでしたが、従兄弟だよなどと
紹介されても『ああ、そう』という感想以上のものはない。
時に、ヒトとしてどこか欠けているのか、と思います。
しかも、一番汚らわしいのが、頭でこういうときはこういう反応をするものだ、
と考えてそのように振る舞っている自分……しばしば気がついたときには、結構
きつい想いをしますね。
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『他人の嫌がることをすすんでしなさい』『他人の善行は倍に自分の善行は半分
に評価しなさい』とかいうような言葉もよく聞きますが……考えてみれば、これ
らの言葉や、この後の章に出てくるような言葉は、それぞれ、各人が自戒として
持っているのなら別に構わないと思うのです。
ただ、それを他人に布教しようとするから、例えばひねくれものの私なんかは、
我慢できない。
私の母は熱心な(見る人によってはある種狂信的な)クリスチャンであり、自分
が信じて心の平穏を得られているし(私から見ればとてもそうは見えないが)、
死後の永遠の天国なるものが約束されている、だからあなたたちにもそうなって
欲しい、傲慢さを捨てて、謙虚になってといって、何度父や姉妹や私が時に激昂
してまでそれを嫌おうとも構わずに信仰を薦めてくるのですが……この感覚に、
似ています。
意地でも斜に構えて、その裏に見え隠れする押しつけの善意や自己満足・傲慢さ
を浮き彫りにしたくなってくる。
「他人の嫌がること?ああ、もちろん、他人に嫌がられることはすすんでやって
るさぁ!」「そうだな、君は忠実に実行しているよな」「……をい」……ある日
の知人との会話ですが。
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私は、テレビを全くと言ってよいほど見ません……自分のペースで画面が動いて
くれないので。
新聞も読みません……読みはじめたら全活字をあまさず読もうとする余り、時間
がかかりすぎてどうしようもなくなるので。
読書は好きなのです……が、現在読んでいるのはそのほとんどが漫画(特に少年
向と25歳を越えてから目覚めた少女向のコミックス、5年間で3000冊程度か)、
及び内容が軽めの文庫本です。
いえ、何が言いたいかと言いますと、せっかく引用しておられる、中野翠さんの
文章中の有名人や俳優の『顔』が具体的にわからないので、悔しいというだけな
のですけどね。
また、文学作品をほとんど読まない(ある意味、意図的に避けているとも)ため
に、普通の読書好きなら当然知っているはずの背景がわからない。
描写やユーモアの毒を含んだおかしさは充分伝わってくるのですが、背景を知っ
ている人にだけ伝わるクロスオーバした面白さがわからないのが悔しいのです。
その悔しさをまた楽しんでいるという複雑な心境……これは現代の『オタク』に
も通じるところはあったりしますけど。
ちなみに私は『オタク』を敬称だと考えております。
私自身もときにそう呼ばれるますが、これこそ分不相応と言えます。
・・映像の時代に過剰適応した視力と、ジャンルをクロスする高性能なリフ
ァレンス能力で、作り手の暗号を一つ残らず読み取ろうとする、貪欲な鑑賞者
なのだ。
しかし、これだけでは、画龍点睛を欠く。その最後の「眼」が、オタクの定
義第3項目の、「飽くなき向上心と自己顕示欲」だ。
(中略)
才能だけではオタクにはなれない。オタクになるためには、天文学的な経済
的、時間的、知性的投資を必要とする。努力と精進、そして自己顕示欲が門を
開ける鍵である。
おわかりだろうか?オタクとは「オタクの定義だけでも3時間喋る奴」の別名
でもあるのだ。
(岡田斗司夫『オタク学入門』(新潮社)より)
この域にはとてもとても……。
話がそれましたが、中野さんの人物描写を読んで、ちょうどグルメ本の微に入り
細に入った描写に感心しつつも、具体的な味が舌に感じられなくてはがゆいと、
そんな気になったということですね。
後のチャップリンや落語、ビートたけしの「毒舌」といった箇所も同様。
本筋にはまるきり関係ありませんが。
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「笑いとはつまるところ差別である」という考えがあります。
私がよく読んでいる中島らもさんのエッセイに出てくる持論で、『笑う』という
ことは、その対象を(意識的にしろ無意識にしろ)差別している(自分よりも、
弱いものとして認識している)ことが大前提にある、と(例えば、子供の莫迦な
しぐさがおかしいといったようなこと)。
まぁ、赤ちゃんの微笑や、くすぐられて笑ったりといった場合の笑いのどこに、
差別の要素があるのか、といったことについてはともかくとして。
ひるがえって、引用されている土屋賢二さんの文章ですが(余談ですけど、なに
かタイトルからして購入する気がうせますね、これ……)。
私的には、「おかしいはず」だと(作者的に)計算されて書かれた文章だという
のがみえみえであること、恐らく腹の底では読者を莫迦にしている一種高慢な書
き方が鼻につき……これを「素直」に笑える人とはあまりお付き合いしたくない
というのが正直なところ。
いわば、ともすれば作者が一段高い所から読者を見ているような書き方に見える
ので……上の笑い=差別の構造から言っても、逆に思えます。
返本の下りで『人は愚かだというであろうが……』以下は「ふん、こんな莫迦な
ことを書きおって」などと作者を莫迦にするのが作者の思い通りの反応といった
ところなんでしょうが……「馬鹿という奴が馬鹿なんだよ」という、子供じみた
意図に見えてしまうのは気のせいでしょうか。
まぁ、私もしばしば人から変だというレッテルを貼られますので、感受性のずれ
は確かにあるでしょう。
もっとも、私の場合は、こと感受性のずれに関して、人と違っていたとしても、
今では特に不安に思わなくなってきましたが。むしろ人と違っているからこそ、
マイノリティだからこそいいのだという天の邪鬼精神の方が表に出てきますね。
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興味ある話題だから、ということもありましたが、この本がすっと読めた理由の
一つとして、言葉が文字どおり使われているから読みやすかった、ということも
あるようです。
とりあえずは裏を読む苦労をしなくてもすむ。その分、すっと入り込んでくる。
逆に作者が『読む人の気持ちになって』書かれたと思しき文章にあたると、これ
がしばしば読みにくかったりする。
要はストレートな文章が、結局のところ、一番読みやすいのだということなので
しょうけれど……いざストレートに書こうとしても、なかなか……。
これも『読む人の気持ち』を考えてしまう弊害なんでしょうか。
日記ですら、人に読まれることを意識して書いてしまうといいますし。
そうすると、日記も言葉が文字どおりに使われていないものが多いのでしょう。
……私自身は、中学生のときに好きだった女の子に振られたとき以来、日記は、
もう一生つけない、後で読み返すのが辛いから……と誓ってつけていないので、
わかりませんが……本当は単に面倒だからという説が濃厚(私は相当不精者)、
と、これは余談。
私にとって、一見不思議に思えてしまうのは、中島さんが人との関りそのものを
止めようとしている訳ではない、ということですね。
罵倒するにせよたたきのめすにしろ、自分自身がくたびれるまでやってしまう。
そんなエネルギー(というか、裏づけとなる自信?)は、少なくとも今までの私
にはないので、心底うらやましい……というか嫉妬にも似た感情を覚えます。
一方、こういった内容の文章を書かれる方が、あとがきなどでも触れられている
ように、似たような感受性を持つ人を求め、それで救われると思う、この辺りの
感覚も、実をいえば不思議です。一種の弱気と取るのは侮辱でしょうか。
他人との積極的な関りを持とうとする、感受性のエゴイスト……なんかこう書く
と、ある意味かなりドンデモない人物ですねぇ……失礼。
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五木寛之さんの『生きるヒント-自分の人生を愛するための12章-』は私も読ん
だことがあります。
もっともこれは自分で買ったものではなく、父にもらった本でしたが……どうも
こういう仰々しいタイトルを見ると無意識に敬遠して、自分では滅多に買ったり
しないのです。
引用箇所についてですが……対談できなくて良かったですねとまず思ってしまっ
た……そんな『常識』は、京都の人の間だけでやってくれという感じです。
五木さんが『反省』した理由がまるっきりわかりませんでした。
このような場合……
「田舎からようおこしやした」「田舎からとは聞き捨てならないなぁ、ボクらは
東京から来たんですよ」「へぇ」「東京ですよ東京」「へぇそれは……田舎から
ようおこしやした」「……京都の人間なんて、だいっきらいだ!」
とあるコミックでの会話(旅館の女将と修学旅行生)、この学生の台詞のような
感想を抱くのが普通だと思っていたのですが……(まぁ東京がどれだけえらいの
かという別の問題はさておき)。
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「その人でもなく、かといって他の誰でもないのが一番いけない。いや、一番
魅力がない」
というのは、非常に重い言葉です、私にとっては。
私は本当は、非常に周囲のことを気にし、またすぐに影響を受けやすい性質だと
いうことを自覚しています。
一例を上げるなら、テレビを見ないというのは裏を返せば、すぐに影響を受けて
これ以上趣味を増やしたりするのは経済的に自殺行為だから、ということもあり
ます。
一方で、自分は自分でありたいというのもまた切なる願いなのですが、しばしば
自分というものが希薄になる感覚にとらわれて、これは酷い恐怖です。
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私は非常な不精者です。
年賀状も5年ほど前からばったりと書かなくなり、暑中見舞いにいたっては返事
すらしたことがありません。
なにも、ご大層な名目や主張があるわけではなくて、単純に面倒だから、です。
正直、もらっても印刷や画一的な挨拶ばかり、あまりうれしいと思ったことも
ありませんし、私が出さなければ、相手も面倒が少しでも減るでしょう……あ、
これでは相手の気持ちを考えたことになってしまいますな。
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欧米式の姓名順について。
高校で、アジアの中で日本だけが姓名順を逆転させてうんぬん、というのを聞い
たときにはやはり姓>名の順で書くべきだよな、うんうん、と納得していたの
ですが、大学や書籍などで、些かヒステリック気味にこういう主張を聞いたり
すると、むしろひねくれたくなってきます。
私の場合、先にも触れましたが『家』や『血筋』に関するこだわりの考えが感情
的にはしっくりこないこともあり、姓が先というのに違和感を感じるときもある
からです。
今の「いだ」という姓が(私にとって)発音し難く、またしばしば他の姓と聞き
間違えることもあって、出来れば姓を変えたいとすら思うのですが……そこは、
田舎の長男のこと、家族はこういう話をするだけで頭ごなしに反対してきます。
はぁ……。
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(2) 『ひとりで生きてるんじゃないからな!』
……確かにそうだけどそれがどうか?あー、面倒くさいなぁ。
学校というところは、まぁ、社会という戦場に出て行く規格化された兵士を養成
するところと解釈しても、あまり的を外してはいないでしょう。
集団生活を善しとして、そこからはみ出すものを許さない……もっとも、少なく
とも小さい頃は『良い子』であった自分は、かなり早くからそれに併せて自分を
騙す技術に長けていたのだと、今となっては思いますが。
今の自分からすると……どう考えても『協調性がなく集団の秩序を乱す……』等
と通信簿に書かれてしまいそうです。
私はついこの間30歳になったばかりですが、小さい頃想像していた30歳とは似て
も似付かぬ……というより、かえって精神状態は不安定さを増しているような気
がします。
仕事についても清濁併せのみ、周囲の人間と合わせて、集団を盛り上げていくと
いうのが『大人』の態度なのかも知れませんが……。
それどころか年々、ますます会社構造の嫌いな面ばかりが目につき、どんどん、
我が侭になって来ています。
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『生きているだけですばらしい』……ついこの間、姉が自殺未遂を起こして病院
に入院した際に、私自身がこのような言葉(『まぁ生きてて良かったよ』)を、
姉に言いましたが……言いながら、妙に覚めた目で、そらぞらしく感じる自分が
居たように思います。
ちょうどその日は知人とオフを楽しんでいるその最中に妹から連絡があり、姉の
病院まで駆けつけたので……面倒くさいなぁという気持ちがあったくせに、と。
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小さいころから、親への感謝ということをお題目のように唱える人々にそこはか
とない違和感を感じていました。
むしろ『誰が産んでくれと頼んだよっ』という言葉の方がよっぽど説得力がある
と……。
ただし、それは私の人間的な欠陥(感情の欠落)であるのだと、無意識のうちに
思いこんでいた感がありました。
といってもこの本を読んだから、その感覚が一気になくなってさばさばした、と
かいうことはありませんが。これからも多分、自分の中でも色々考えが変わって
いくだろうなという予感があります。
父母には、多分面倒見る程の甲斐性が出来るとは思えないから、老後は自分達で
なんとかしてくれ、とは以前から伝えてありましたし、ただ漠然と、元気でいて
欲しいなとは思っておりましたが……父が難病(筋萎縮性側索硬化症)にかかり
見る見るうちに衰えていくというのは(つい先日帰省した際、たかだか半年で、
20キロ程痩せて両腕が完全に動かなくなっていた)予想外でした。
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テレビドラマを知らないのをいいことに敢えて曲解するならば「あすか」はある
意味非常に(無意識の)欲望に忠実だと……つまり、自分は『ひとりでいきてる
んじゃないから』こそ、自分に影響する可能性のある人々という、周囲の環境を
整えているわけですね。整えていないと、自分が病気になっちゃうし。
あまり悪『趣味』を前面に出さないでいただきたい……影響されて、この類いの
番組を見るようになってしまったらどうしよう……「素直」な眼と「趣味」の眼
の両方で楽しめば二倍おいしい、でしょうか。
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これも見てないのでなんですが、『のど自慢』の造反者は「しかたなく」である
ことももちろんわかっていて、皮肉を飛ばしたわけではないのでしょうか?
まぁそれはともかく、その場面見てみたかったですねぇ。
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中島さんは小説は書かれないのでしょうか。
この辛目の切り口で、しかも出来れば「男性語」を話す女性が主人公の(完全に
趣味に走ってますが……)。
かなり読み応えのあるものが出来るような気が……。
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『ひとりで……』なる言葉を好んで使う人は、きっと『人生とは』とおもむろに
語る癖も持っている確率が高いのではないか……『叔父さん』の「人生、なんで
もアグレッシブにやれば……」という台詞を読んで、じゃああなたに私の人生が
変われるのか、とか、8割方ということは、そんなに何とおりもの人生を生きて
来たのか、と、つい子供っぽい意見を持ってしまった私です。ああ恥ずかしい。
もっともどちらにしてもまだまだ『人生とは』を語るほどには生きていないです
から、ねぇ。
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会社という組織への愛などナンセンス、などという同僚にしてからが、なんだ、
かんだで同僚や上司とのウェットな関係を保ちたがる。出世欲というものもある
のだろうか?
私的には、管理職といった面倒なことに首を突っ込まずに済む『メリット』を
考えると、出世による給与の増加などには全然魅力を感じないので、その辺りが
よくわからないのです。
郷土愛もかなり薄いと思います。
和歌山→奈良(住んでいたわけではないが、中高はここ)→東京→愛知と移り、
また出張でひと月から一年程別の場所のホテルという生活も別にそれ自体には、
違和感はないですね。
ただし、祖国愛はある……というか、実質、日本語しか話せない&読めないため
のコンプレックスは強いし、何より日本の漫画を愛しているからです。
もっとも、母校が廃校になるとか、オリンピックで日本がいくつメダルとるとか
そういったことには関心すらなく、そういう意味での祖国愛は結構薄いですが。
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私は、殺気となって昇華されるほどの修羅場をくぐった経験は、今だにない、と
自分で思っている……ということは、逆にこれからそういう修羅場にぶち当たり
乗り越えられれば、セクシーになる可能性がある、ということでしょうか?……
たまには、楽天的に考えてみるのもいいかもしれません。
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(3) 『おまえのためを思って言ってるんだぞ!』
……人間誰しも結局は自分が……情けは他人のためならず、というわけか。
大学4年のころから修士課程まで、この類いの台詞はさんざ聞かされてきました。
小さい頃からただもう研究者になることばかり目指して大学に入った揚げ句、夢
と現実とのギャップが大きくのしかかってきたため、ノイローゼ&鬱病に移行し
ていった時期です。
親が、教授が、助手が、先輩が、医者が、言うことは全て空ろに響き、それこそ
『お前が目ざわりで嫌でたまらない』といったようにしか聞こえないような日々
が数年に渡って続いたわけです。
あの時期の記憶は曖昧ではありますが、もしかすると、これで将来回復するよう
なことがあればもっと別の意味を持ってそれらの言葉も改めて受け止められるの
では……とも思っていたのかも知れませんが……実際のところ、現在に至るまで
どうやらそうでもなさそうです。
そして、こちらが弱っているときにはしたり顔で『おまえのためを思って』言っ
てくれていた人も、いざ自分が弱ったときには見る影もない……現実は厳しく、
なかなか割り切れないもののようですね。
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……と、ここで唐突に終わってしまいます。タイムスタンプを見ると2000年12月1日。
実はこの晩は何故か寝つけなかったのでこんなことをしていたのですが……このとき、実家の方では父が病気で倒れて意識不明となっていたのです。虫の知らせ、というものなのでしょうか。
父はその後、二度と目覚めることなく、翌年2月に永眠したのでした……もう、5年も前のことになります。
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