「好き嫌いと無関心」の度合いを視覚的に表現してみる
「好きの反対は無関心」という言葉を近年よく見かけるようになった。
しかし私的にはどうも腑に落ちず、「好きの反対は、やはり嫌いではないのか?」「好きの反対が無関心だとすると、嫌いの反対も無関心なのでは?」などと思っていた。
それに、「嫌いではないのだけれど苦手」「好きな人だから嫌いな部分も許容できる」といった言い回しから、好き・嫌いはそれぞれ独立しており、それらの度合いを足し合わせて好悪の感情ができているのではないか、などとも考えるようになった。
そこで、思考をまとめるため、具体的に図にしてみた。
■「好き嫌いと無関心」の視覚化
ヒロインの感情の変遷とか……実は、創作活動の覚書的にも使えるのではないか?(……ないか)
■感情曲線の例
なお、ここでのツンデレの意味は、
「初めはツンツンしている(敵対的)が、何かのきっかけでデレデレ(過度に好意的)状態に変化する」
ツンデレ - Wikipedia
に準拠する。
■「好きの反対は無関心」の元ネタについて
もともとは、1986年にノーベル平和賞も受賞している、エリ・ヴィーゼル(Elie Wiesel)という方の言葉らしい。
Elie Wiesel - Wikiquote
- The opposite of love is not hate, it's indifference. The opposite of beauty is not ugliness, it's indifference. The opposite of faith is not heresy, it's indifference. And the opposite of life is not death, but indifference between life and death.
- US News & World Report (27 October 1986)
「愛憎」「美醜」「信念・信仰と異端・異教」「生死」といった通例ならば対局にあると(対立・敵対する、すなわち争いの原因となると)される概念を例にあげ、実はそれら全ての対局にあるものは「無関心」であると(おそらくは“「無関心」こそが罪であり、悪である”という訓示の意味で)述べているように読める。
「好きの反対は無関心(The opposite of love is not hate, it's indifference.)」の部分だけが独り歩きしてしまい、原意からは乖離しつつあるのではないか?
追記
エリ・ヴィーゼル | 耳をすまして - 楽天ブログに、『耳をすましてきいてごらん』小貫大輔,ほんの木(2002) からの引用の形でエリ・ヴィーゼルの言葉が記載されていた。